新・空気の研究67
永六輔さんの長女・千絵さんが晩年の10年間を本にした。
『父「永六輔」を看取る』(宝島社)
笑いと介護の日々は、抱腹絶倒だ。
こんなエピソードがある。
永さんが乗っていたタクシーが横転し、救急車で搬送される。
その救急車のなかで、娘に電話した永さん。
「うるさいので、ちょっとサイレンを消してもらえますか」と頼んだとか。
このとき「タクシーが横転」といっていたが、実は「タクシーの横腹に衝突」だった。
永さんの話は、話半分に聞かなくちゃいけないと娘自身が書いている。
永さんが入院してリハビリをしているとき、
インドネシアから来た青年が担当だった。
「下ばかり見ていると危ないですよ。日本にはいい歌があるじゃないですか。
『上を向いて歩こう』、知っていますか」と青年。
恥ずかしがりやの永さんは「ぼくは知らない」とこたえた。
だが、後日、うそはいけないと思って、青年に話すことにした。
「本当は知っているんだ。ぼくがつくった歌だから」
そう言うと、青年は「またまた永さん、うそばっかり」
事故も病気も入院も笑い話にしてしまう永さん。
実はこのエピソードも、長女から見ると違う側面があったようだ。
永さんが紙パンツを履くのをいやがるときがあった。
「ぼくも履いてますよ」というぼくの言葉が、効いたようだ。
「困ったときのカマちゃん」というのが何度か出てくる。
永さんは空気に染まらなかった。
平和のことも憲法のことも、言うべきことはきちんと言葉として発信した。
昭和の文化をつくってきた天才であり、平成になっても、ぼくたちを叱咤し続けた。
天才・永六輔の隠れた10年を知ることができる一冊。
永さんのラジオを聞けなくなってさびしいと思っている人は、ぜひ読んでください。
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