「すごい日本」という日本礼賛は、実は最近のものだけではない。
戦前も意識的に始められ、戦争になだれこんだ。
そういう意味でいまテレビや雑誌での自画自賛の風潮をみると、危険な香りがする。
リーダーたちが忖度バカをしている間に、日本はとんでもない間違いを始めているのかもしれない。
『「日本スゴイ」のディストピア 戦時下 自画自賛の系譜」(早川タダノリ著、青弓社)を見ると、自画自賛がずっとあったことがわかる。
昭和8年に出た『日本人の偉さの研究』(中山忠直著)は、忍術やオカルトにも触れながら、日本人の底力や粘り強さは「米食」から来ているなんてことが書かれている。
昭和16年の『真日本主義国民改造と道義大亜建設』は、
全国民を国民産業軍隊に改造せよと言っている。
最近もこういうことを言う人たちが目立つ。
昭和14年に出た尋六の学級経営に関する本では、学校教師をミニ天皇化する日本的学級経営をうたっている。
教師が、教育勅語の元に、ミニ天皇のようになり、絶対的な権限を振るう。
首相も首相夫人も稲田元大臣もみんな教育勅語が好き。
教育という名のもとに戦争しやすい方向へ持ち込んでいくのだ。
昭和19年の『決戦体力の目標』は、いよいよ表現があからさまだ。
勝つために体力向上の実践をしようというのだ。
100メートル競走と手りゅう弾投げが同等に扱われている。
『み国のために働く小産業戦士の道しるべ』では、金銭のために働くのはいやしい根性、国のために働けと勇ましい。
国にとって、煙たい存在は思想犯として南方送りになった。
「美しい国日本」と言いながら、仲間から外れた人間は「こんな人たち」と非難するのは、
なんだかどこか似ていないだろうか。
自画自賛、日本礼賛の裏側で、権力をもつ人たちが、お友だちやご寵愛の人たちだけを大事にして、自分たちだけで甘い汁を吸うシステムをつくっていくのだろう。