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2017年9月 5日 (火)

新・空気の研究80

第二次世界大戦に入る直前、日本の軍部が嫌ったのは、
社会主義や民主主義ではなく、自由主義だと聞いた。
自由主義というのが、わかりにくい。
自由とは、負債を負っていない、社会的に制約されていない状態をいう。
自由主義は、いろんな顔をもっている。
左翼といわれたくないために、「私はリベラル(自由主義)」という人がいる。
自由主義は、保守と思われていることも多い。
自由な競争を中心にして、小さな政府で、福祉は小さくしていこうという主義である。
でも、ぼくはこの「自由主義」を、立場にとらわれない主義ととりたい。
左でもなく、右でもなく、というのが大事なのだ。
いつもニュートラルなポジションにいて、
ときには左からものを見、ときには右からものを見る。
より自由になっていくために、一人の人間にレッテルを貼ったり、貼られたりしないようにすることが大事なのだと思う。
右とか左とかレッテルを貼られると、
「あいつは保守なので、言うことを聞いてあげよう」とか、
「所詮、左だから、全部反対しよう」とか、
表面上だけの論争になり、議論が深まらない。

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SNSなどのITで人と人がつながりやすくなったが、同じような思考形態の人たちがつながるだけで、
異なる意見の人たちと議論を深めることはない。
CNNはフェイクと思っている人たちと、CNNはまあまあ正しいと思っている人たちと、
互いに内輪で盛り上がるだけ。
埒が明かないのである。
どちらにも入らないニュートラルな人間が、
一人の人間として、自分はどう考えるか結論を出していくことが大事だと思う。
自民党に入ったら、自民党が決めた考えにならい、自分の意見を曲げるというのではなく、
一人ひとりが自分の考えを持っていることが大事なのではないか。
ぼくは、それを「自由な人間主義」と呼びたい。

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