新・空気の研究86
森山良子さんにお会いした。
「さとうきび畑」の唄について聞いた。
この楽曲は、寺島尚彦さんの作詞作曲。
本土復帰前の沖縄を訪ねたとき、さうときび畑の足元には戦没者の遺骨が埋まったままと聞かされ、衝撃を受けて出来たといわれている。
さとうきび畑を渡る風を、なんと表現していいか。
迷いに迷って、「ざわわ」になった。
「ざわわ」は66回繰り返される。
以前、NHKのラジオ番組「鎌田實 いのちの対話」で、寺島さんの娘さんとご一緒したことがある。
そのとき、フルコーラスで唄ってもらった。
森山良子さんは、寺島さんの三軒隣に住んでいたという。
19歳のとき、寺島さんからこの歌をうたってくれと言われた。
「この広い野原いっぱい」でデビューし、ギターを片手に歌っていた彼女。
「さとうきび畑」は重すぎたという。
何度歌っても、「ざわわ」という風の音が、うまく歌えなかった。
「小手先ではダメ。くせもの。自分の非力さを痛感した」という森山さん。
しかし、寺島さんに言われ、レコード会社に相談すると「歌うべき」といわれ、
69年にレコーディング。
レコードになっても、「長すぎる、重すぎる」と自分勝手に思って、
コンサートでは、セットリストからはずしていた。
時が経過して、91年、湾岸戦争がはじまった。
母親からこう言われた。
「こんな時期に、愛だの恋だの歌ってちゃんちゃらおかしいわね。
あなたには歌うべき歌があるんじゃない」
お母さんは、歌手・森山良子の厳しい理解者だった。
この一言で、今まで逃げていたが、歌う時が来たんだと決心した。
歌が友だちになり、恋人のようになっていった。
歌っていこうという決意が生まれたという。
「大丈夫、肩の力を抜いたらいんだよ」と曲がささやいたような気がした。
最近、ギター一本で新しいCDを録音した。
これがいいのだ。
ぼくは聞きほれてしまった。
むだな贅肉を全部そぎ落としている。
「さとうきび畑の骨と筋肉になっている」とぼくが言ったら、すごく喜んでくれた。
2016年の50周年の記念コンサートでは100曲くらい用意して、リクエスト曲も歌う。
それを年間104回行った。
そのなかには「さとうきび畑」は必ず入っていた。
10数分間。
この歌が日本のどこかで歌われているときは、
右の人も左の人も、政治的信条なんて横に置いて、
とにかく戦争はいけないんだ、と思ってほしい。
そういう10数間があることは、とても大事だと思う。
ぼくはずっと「空気」を否定してきたが、
どんなことがあっても戦争はしちゃいけないという「空気」を、
ぼくたちが自覚し、意識的につくっていくことも大切なのだ。
◇
「日曜はがんばらない」(文化放送、日曜10時~)の9/10放送では、森山良子さんをゲストにお迎えした。
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