新・空気の研究88
共謀罪の趣旨を含む組織犯罪処罰法の改正案が国会を通過した。
外形的な実行行為を罰するという今までの刑法の原則に反して、
犯罪を計画した段階で処罰することができる。
そのためには、犯罪を計画しているかどうか、通信傍受などの内定調査が多くなる。
これが一番の問題かなと思う。
ぼくたちの国は歴史的に弱いところがある。
ぼくの小学校時代の友人、明治大学理工学部教授のオーストリア文学の専門家である菊池良生君は、
「ハプスブルク家の人々」など、この時代を得意にしており、たくさんの本を書いている。
そのなかに、「警察の誕生」(集英社新書)という名著がある。
徳川の時代は平和だった。
100万都市を、280人ほどの役人で行政、司法、警察の機能を担った。
それでいて、自治組織という名前がついた。
秩序維持のための相互監視システムがあったからだという。
犯罪が起きたときには、その地域全員で責任をとるという自警団組織だった。
5軒の家が一つの塊になり、相互監視と連帯責任をとる。
密告と賄賂が大手を振っていた。
賄賂は忖度バカの究極のスタイルだ。
警察機構の末端である目明しにお金を与えることで、犯罪から逃げれたり、
犯罪者をつかまえたと言われ、犯罪被害者もおしらすに呼ばれる。
その町役人たちにお礼をしたりすることが常態化していた。
町のなかには御用聞き、目明し、岡っ引きなど公務員でない人たちが、賄賂をもらいながら生活をしのいでいた。
やくざのみかじめ料とどこか似ている。
菊池良生君はこんなふうに書いている。
「密告国家とは警察国家の代名詞でもある。さらにいうと警察国家とは絶対主義の産物である。
すなわち江戸時代は18世紀以降、絶対主義の完成期にあったのだ」
絶対主義は治安を国家の問題として初めてとらえた政体であった。
一強になると絶対主義的な空気が作られていく。
一強になると絶対主義的な空気が作られていく。
テロをなくすためには、内定調査も通信傍受もかまわないなんて思わないこと。
監視社会になると人々の生活が萎縮し、忖度バカが闊歩しだす。
そんなつまらない国にしないようにしたい。
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