新・空気の研究93
世界中に不寛容の空気が広がっている。
考え方、宗教、肌の色・・・など、自分とは違うものがあるとそれを認めることができず、
バッシングが始まる。
特にインターネットの世界では顕著。
そんな大人たちの姿を見ている子どもたちも、不寛容になりはじめた。
原発事故で福島から自主避難してきた中学一年生がいじめられ、学校側にも相手にされず、
「ばい菌扱いがつらい」という手記を書いている。
そもそも「自主避難者」という言葉はどうなのだろう。
まるで自分勝手に避難したような印象を与える。
しかし、本当にそうだろうか。
原発事故で放射能が飛び散ったのは事実で、逃げるしかなかったのではないか。
チェルノブイリの放射線汚染地域のルールはわかりやすい。
年間20ミリシーベルト以上は居住できない地域とした。
「埋葬の村」ともいわれるようになった。
年間5~20ミリシーベルトは強制移住地域に指定された。
土地と家が与えられる。
しかし、残ることを選択した場合には、健康診断や子どもを年二回保養に出す、食べ物の放射線測定など、
生活支援があった。
年間1~5ミリシーベルトは移住の選択権付与地域とされた。
福島ではこのレベルの地域がかなり多く、この地域の人は「自主避難」となる。
チェルノブイリでは移住の選択権が与えられ、移住したい人には土地と住宅が付与された。
年間0.5~1ミリシーベルトは放射線管理地域とし、検診や食べ物の放射線測定などは強制化した。
移住権はない。
「自主避難者」は、自分勝手に避難したのではなく、逃げるしかなかったから避難したのだ。
ベラルーシという貧しい国でできたことが、日本の「自主避難者」にはできていない。
「自主避難者」というレッテルを貼って、差別や分断を生んだ。
国が年間1ミリシーベル以上の地域の人たちに移住権を与えた上で選択できるようにしていれば、
辞職したある大臣のように自主避難者を「勝手な人」と言わなかったと思う。
自分たちで勝手なルールをつくって、自主避難者を悪者にしていく。
そういう社会をみて、子どもたちは自主避難してきた友だちを、ばい菌扱いするのだ。
もっと大きくて、寛容な政治が行われていれば、福島のこれほどの分断は起こらなかったと思う。
出て行った人も残った人もみんな被害者という大前提に立ち返るべきだ。
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