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2018年5月11日 (金)

女の子のとき

ぼくの友人にふうちゃんという女性がいる。
諏訪中央病院看護専門学校の校長をしていたとき、毎年「命とは何か」というテーマで、
看護学生たちに授業をしてもらっていた。
迫力のある、すてきな授業だ。
ふうちゃんは「女の子のとき」という詩集を出している。
そのなかに同じタイトルの詩を書いている。

“女の子”のとき

母さん
もう何年前になるかな
“女の子”のときに いつも思い出す
母さんの言葉
“やっかいだから”
“大変だから”
“手術しなさい・・・”
何も言えなかった あの頃の私
母さんの心 見えるから  (一部抜粋)

脳性麻痺で「体は不自由だけれど、心は自由だ」と言い切って生きてきたふうちゃんらしい詩だ。
不幸か、幸せかは人が決めることじゃない。

L1010611 足の指で演奏するふうちゃん

旧優生保護法下では、特に50年代、たくさんの障害者に不本意な形で不妊手術が繰り返された。
国や自治体の文書のなかには、
「精神障害者は年々増加傾向にあり、憂慮に耐えない」
「不良な子孫の出生を防止し、社会福祉に貢献していただきたい」などの記述がかつてあった。
なんとも悲しい文章である。
国も自治体も医療者も誤りを認め、障害者に丁寧な謝罪をすべきである。
二度とこういうことが起こらないように。

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