記憶を語り継ぐ
陸前高田の語り部から、東日本大震災当時の状況を聞きました。
高田一中の避難所には、約1000人が避難してきましたが、
数日のうちにリーダーや副リーダーを決め、食糧班や広報など分業体制を作り上げたといいます。
必要な救援物質などは、マスコミを通じて呼びかけ、
自分たちの健康を守るために、みんなでラジオ体操もはじめています。
津波に巻き込まれたタンクローリー。運転手は亡くなったが、捜索に来た仲間に確認された
また、マスコミの取材は一日3回と決めて、被災者が落ち着いて過ごせるようにしています。
停電になり、冷蔵庫の大量の魚が寄付されたときには、
調理ができる避難所と協力し、分け合いました。
語り部の釘子さんは、経験したことを次の世代に役立てたいと、必死に語り部活動をしています。
「平成」から「令和」になっても、忘れてはいけない記憶があります。
夜は、陸前高田の地域包括ケアに取り組んでいる仲間と慰労会をしました。
人と人とのつながりによって、地域の復興を担っている人たちです。
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