発想の転換
1か月先にピークが来て、そこから3か月程かけてなだらかに低下し、第一波の収束に向かっていくのではないか。
少し前まではそう考えていました。
しかし、緊急事態宣言が遅かったことと、その後、国と自治体の足並みが乱れたこと、舞台裏が見えすぎて国民に訴えかける力が足りなかったことなどで、ピークはもっと先になってしまったような気がします。
国は、行動を7~8割抑えることで、2週間で下がり始めると言っていますが、もうそんな甘い状態ではないのではないか。
緊急事態宣言を出した7都府県、その後、愛知や京都が続きましたが、ほかの自治体もじりじりと感染者数を伸ばしているのが気になります。
感染者数30、40という自治体でも、場合によっては緊急事態宣言を出して、感染者数の急激な増加に備えたほうがいいのではないか。
もう国が方向を示すのを待っている余裕はありません。
北海道が自主的に緊急事態宣言を出したように、自治体が「自分たちの地域は自分たちで守る」という気概を持って、いち早く決断したほうが、県民にも「この難局を乗り切ろう」という気持ちをもってもらえるのではないでしょうか。
慶応大学で院内感染が出た矢先、研修医たちが飲み会をして感染者を20人ほど出したということについて、週刊誌などが批判しています。
軽率な行為で、批判はもっともだと思います。
ぼくが指導医だったら、研修医たちを怒鳴りつけるでしょう。
けれど、その後、しっかり自主隔離をして感染を広げないようにし、指導医と連絡をとりながら経過に注意するように伝えます。
そして、無事、陰性になり、抗体検査で抗体があることがわかれば、今度は、大学病院のコロナ最前線で患者さんを救命するよう、汚名返上のチャンスがあることを伝えます。
「まず、新型コロナウイルスに負けないで元気にもどってこい、活躍を期待しているからな」
2mのソーシャル・ディスタンシングを取りながら、気持ちの上では肩をたたくつもりで声をかけようと思います。
感染した人は、被害者でもあります。
ここまで広がってしまったら、だれが悪いとか後ろ指をさしていると社会が成り立たなくなります。
北陸の小学校の入学式で、新一年生の子どもが参加を拒まれました。
親がトラック運転手で緊急事態宣言を出した地域に運搬したというだけで、2週間の自宅隔離を命じられたのです。
とんでもない差別です。
コロナの時代に、差別を止め、安心の社会を築いていくには、発想の転換が必要だと思います。
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