新しい国の形
新型コロナのさなか、検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案が出され、SNS上で異例の抗議が続きました。
この動きに対して、信濃毎日新聞の取材を受けました。
5/13の同紙には、
「国と国民の信頼を損ねる行為」というぼくのコメントが載りました。
そして、昨日、検察庁法改正、今国会の成立断念。
本日の信濃毎日新聞に載ったぼくのコメントはこうです。
「政府が国民と向き合おうとするこの感じは久しぶり。政治についてあきらめかけていた人たちも前を向けるのではないか」
新型コロナとの闘いは、長期戦になることが予想されています。
政治の力だけでなく、国民の協力がなければウイルスの勢いを止めることはできません。
ウイルスの勢いを止めなければ、経済の復興もあり得ない。
たくさんの命や健康、心に大きな犠牲を強いることになってしまいます。
国と国民との関係はどうあるべきか。
この新型コロナ禍から立ち上がるには、新しいモデルが必要なのではないか。
分断を進めてきたトランプ型のポピュリズムではなく、
自分たちの国さえよければいいというナショナリズムでもない。
誤解を恐れずに言えば、古臭く、形骸化した民主主義でもない。
選挙に行く人は6割程度、国民の3割程度が多数となってしまうような政治ではなく、
国民の声がもっと反映されるような仕組みをつくっていく必要があるのではないでしょうか。
宇沢弘文の「社会的共通資本」を思い出しました。
宇沢弘文は、資本主義の不安定さを数理経済学で証明し続け、ノーベル経済学賞にもっとも近かった日本人ともいわれています。
晩年、宇沢先生に、地域医療について講演してほしいと言われたことがあります。
その内容は共著として「社会的共通資本としての医療」という本に収録されています。
医療、教育、交通、情報、物流。
それらは命や暮らしを支える社会的共通資本です。
このコロナ禍で航空会社などはしばらく厳ししい状況に追い込まれることでしょう。
日本のものづくりのサプライチェーンもしかり。
マスクやガウン、アルコール消毒液などが入手できない状況を考え直すべきだと思います。
宇沢先生は生涯、人々が平和に暮らせる世界の在り方を追究をしてきました。
今、宇沢先生が生きていたらな、と思います。
社会的共通資本を大事にした資本主義、のようなものができたら、
日本は今後数年続くと思われる厳しい状況を乗り越えて、もっと発展していくのではないでしょうか。
そして、このスタイルは、今の新型コロナとの闘いにもマッチすると思います。
その第一歩として、首相が自分の主張を取り下げたことは、とてもいいことだと感じました。
新しい国の形とは何か。
自粛生活中に、そんな妄想が膨れ上がっています。
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