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2020年6月 5日 (金)

相互監視と私的制裁

罰則規定がない自粛要請だけで、何とか第1波を乗り越えつつあります。
「日本だからできた」ということもできますし、「やっぱり日本はすごい」とついつい自慢もしたくなります。

しかし、なぜ、自粛要請というあいまいな強制力が成立するのか。
そして、なぜ、「自粛警察」が暴走するのか。
それにはいくつかの問題があるように思います。

自粛というのは、あいまいな概念です。
テレビはそれを生活に落とし込み、具体的な行動を示してきました。
それがまるで生活の規範のように広がっています。
それを実践する人は、実践していない人を見ると非難したくなります。
自分ばかり実践するのはおかしい、不公平だ、従わない人がいると感染が広がってしまう・・・。
その結果、「正義」を錦の御旗にした「自粛警察」が出来上がっていきます。
しかし、その根底には、フラストレーションがあり、「正義」の名を借りているけれど、自分の不満のはけ口にしているのに過ぎないことを気が付いていないのではないでしょうか。

自粛が、自発的な協力ではなく、「相互監視」と「私的制裁」でコントロールされるようなところにまで行ってしまうと、社会は住みにくくなっていきます。
「差別」や「排除」も起こります。
かつて、小児麻痺がはやったときに、「患者の家」という張り紙をされる、とんでもないことがありました。
ハンセン病でもそう。
結核になった人は、地方では村八分にされたといいます。

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「正義」や「権力」という大きなものの皮をかぶると、人間は何でもできてしまう。
それは、アイヒマン実験で証明されています。
アイヒマンは、数百万人のユダヤ人を収容所に送る責任者。
家族を大事にし、職務に励む、平凡で小心な一介の公務員だったアイヒマンのような人間に、なぜ、残虐な行為ができたのかを実証しようとする実験です。

「自粛警察」の暴走を防ぐためには、やはりリテラシーを上げることが大事です。
新型コロナ感染は、私的制裁で防げることではないということを知ること。
そして、感染を広げないために、一人一人がすべきことを理解することが大切です。

最近、女子プロの女性が自殺した事例をみても、「私的制裁」が厳しくなっているように思います。
コロナ後の日本社会が息苦しいものになってしまわないように、もっと穏やかな方法をとってもらいたいものです。

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