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南相馬で、産婦人科を開業していた高橋亨平先生。彼は、子どもが生まれない街は必ず消滅していく、と言い、進行癌と闘いながら、診療を続けました。
放射線から妊婦さんを守るために、病室に鉛のカーテンをつけ、妊婦さんの家の放射能測定をしたり。妊婦や小さな子どもを守る活動を最後のまで行いました。東北にはこういう骨のある人たちがたくさんいました。
鎌田實 2021年3月 6日 (土) 11時13分 | 固定リンク Tweet