自由について
物心ついたときからずっと自由に生きたいというふうに思ってきました。
18歳の時、父親と大喧嘩をして、最後に父親が
「自由に生きていい。そのかわり自分の責任で生きろ」
と、ぼくに自由をくれました。
医学部に挑戦したのも、卒業してすぐに田舎のつぶれそうな病院に行ったのも、誰も行く人がいないと聞いてチェルノブイリの放射能汚染地域に子どもを助けに行ったのも、すべて自由に生きたいという思いから始まっています。
昨年は、心房細動でカテーテル・アブレーション治療を受け、尿管結石を体外衝撃波で治療したりしながら、
「老い」のはじまりを実感しました。
「老い」は悪いことばかりではありません。
病院の責任者を辞めて15年、子どもたちもそれぞれ自立しています。
そう、これからはもっともっと自由に生きられるようになります。
自由にこだわったきたぼくは、自分のやりたいことをやり、言いたいことを言うことが大切だとますます強く感じるようになりました。
そんな時に中国のテニス選手彭帥さんの事件が報じられました。
音信不通になっていた彼女が、20日ほど経ったところでテニス大会に参加した画像の流されました。
本当に彼女の自由は守られているのだろうか、はなはだ疑問が残ります。
IOCのリーダーがビデオ通話で彼女と話し、彼女が元気で安全であることを確認したと言いますが、
本当に自由であることを確認できたとは言い難い状況です。
むしろ、彼女が自由でないことを隠蔽しているようにしか思えません。
「透明人間になったようだった。毎日架空の装いをして自分が生きた屍(しかばね)になったように思える」
これは、SNSから消されてしまった彭帥選手の言葉です。
一人一人が自由と責任の中で生きられる社会を作っていくことが必要だと強く感じました。
IOCや中国には、はやくそのことに気が付いてほしいと思います。
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JCF(日本チェルノブイリ連帯基金)は、ポーランド、ブルガリア、ウクライナ西部のウジホロドにて、ウクライナの子どもたちを支援する活動をしています。応援よろしくお願いいたします