日本はどこへ行くのか(20)
〝自分放送局〟時代
SNSの時代になり、Xやyoutubeを使って発信できるようになった。
だれでも、手軽に発信できる〝自分放送局〟をもつようになったのである。
ぼくは「日曜はがんばらない」(文化放送)を14年続けてきた。
基本的には自由に発言できるのだが、
いつもスタジオにはプロデューサーがいて、台本作家とともに、誤りがないかどうか、
偏向しすぎる傾向がないかどうかチェックしてくれている。
しかし、SNSという自分放送局では、自分だけの思い込みがあってもチェックされることがない。
それがそのまま拡散されて、まるでファクトのようになってしまう。
より極端な情報のほうがアクセスが多くなる傾向があって、
中途半端な中庸の理論はうもれてしまう。
右でも左でも極端化したほうがフォロワー数が多くなり、
結果として対立の構図ができ、社会の分断が起きる。
兵庫県は知事選をやり直したが、いまだに問題が多い。
議会でも建設的な議論ができなくなっているし、
県民に向けての働く意欲も高まっているとは言えない感じがする。
選挙で現在の県知事を推した人たちの中には
こんなに分断が起きているなら、ほかの人にしておけばよかったと思ってる人もいるのではないだろうか。
知事選の対立候補が「外国人参政権を推進している」というまったくのでたらめを広めた人たちもいる。
ある思いを強く持った人たちが大量に発信する傾向があり、それにニュートラルの人たちが惑わされてしまうのだ。
〝自分放送局〟時代は、自由に自分の意見が言えるいい時代であるが、
極端に走りすぎることに関して、「いや、もしかしたら思い込みかもしれない」「間違っているかもしれない」と、自分をコントロールする力をつけていかないと、民主主義が危うくなる。
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