2013年1月14日 (月)

ポスト3.11を生きる哲学

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ホモ・サピエンスが誕生し、生き残っていくには、いくつもの奇跡が起きていた。

ビッグバンという奇跡の後、地球がうまれた。
その地球に、巨大な隕石がぶつかった6500万年前。
衝撃と気候の激変で、地球を制覇していた恐竜が死滅したといわれる。
生き物の世界は、哺乳類の時代になった。

4000万年前、アフリカにくっついていたインド大陸が、海の中を動いて、ユーラシア大陸にぶつかる。
その衝撃で、ヒマラヤ山脈ができた。
高い山脈にぶつかって、インドからアジアにかけてモンスーンが発生した。
たくさんの雨により、二酸化炭素は海の中に落ちた。
大気中の二酸化炭素は減り、熱すぎた地球はほどほどの気温になった。
これが、人類の生まれる基礎になる。

Photo_2 ヴィクトリアの滝。1億5千万年前に、火山の爆発によって地割れのような滝と峡谷と川ができた

何回か氷河期が繰り返された。
このころ、知恵をもった類人猿が生まれるが、地球を制覇していたのは大型の獣だった。
20万年前の氷河期をへた19.5万年前、ようやくホモ・サピエンスが生まれる。
12万年前、寒冷化が進むなかで、ホモ・サピエンスは生き残るために、出アフリカを試みる。
しかし、その祖先は絶滅する。

7万5000万年前、スマトラで火山の大噴火が起こる。
地球全体が、ちりで覆われ、太陽の光が遮蔽され、急激な温度の低下にみまわれる。
生き物は、すべて生きづらくなる。

7万年前、再び、寒冷化が襲う。
6万年前、ホモ・サピエンスは再び出アフリカを試みる。
おそらく、この時、出アフリカに成功したミトコンドリア・イヴが世界中の人々の祖先になっていく。

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寒冷化とともに、密林がサバンナに。そのサバンナで効率よく移動するために、直立2足歩行の生物体が生まれた。アウストラロピテクス(左)とホモ・サピエンス

我々ホモ・サピエンスは、自然の大いなる力の中で、耐え忍びながら、命を適応させてきた。
これからも、自然の大きな力の中で生きていくことには変わりない。
自然のなかで生きざるを得ないのが、我々なのだ。

そうしたことを再確認したうえで、エネルギーはどうしたらいいのか、農業はどうしたらいいのかを考え、ほどほどの工業化をしながら、他の生命体と共生し、どのように命を次の世代に繋げていくかを考えていく必要がある。

今回の災害では、多くの命が失われた。
だが、次に大きな災害が起きても、我々は生き残っていかなければならない。
そのために、原発や原爆のない地球をつくり出す、思想や哲学を築き上げていかなければならないと思う。

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2013年1月13日 (日)

愛のかたち

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38億年前、生命が奇跡的に誕生した。
生命を繋げる方法は、クローンだった。
あるとき、オスとメスに別れ、それぞれがDNAを出し合って、新しい命を誕生させるシステムが出来上がった。
このシステムでは、オスとメスが繋がらない限り、新しい生命は生まれない。

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孔雀のオスは、美しい羽を広げて、メスを呼び込む。
アフリカで見た、この鳥は、オスが喉仏をいっぱい膨らませて、メスの気を引く。
ガラパゴスの軍艦鳥は、顔の2倍くらい喉を膨らます。
皆、命がけで異性の気を引くのだ。
オスのカバは、9歳になると性欲が亢進する。
すると、父親のカバが、青年のオスカバを家族から引き離す。
オスカバは、旅に出て他の群れのメスを探し交尾しようとする。

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若いインパラは、戦いで打ち勝つと、メスを総取りして、ハーレムを作る。
皆、それぞれ違うスタイルであるが、命がけでパートナーを探している。
生き物の宿命である。

現在、日本では、男性の61%、女性の50%が恋人なし、という。
そのうち、異性との交際を望まない男女が半数いる。これでは、まずいのだ。
人間も、人間らしい愛のかたちが必要だと思う。

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この写真(↑)は、セントルーシア公園のボートサファリをした後、一緒だった女の子たちが向こうから写真を撮ろうと声を掛けてきた。
いちばん上の写真は、南アフリカのダーバンの市場の美女たちが写真を撮っているところに、強引に割り込んだもの。
異性を求めて、強引さが必要なのだ。

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2013年1月12日 (土)

サファリという旅

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サファリとは、スワヒリ語で、旅のことをいう。
我々ホモ・サピエンスの祖先は、好奇心を持って、何度も出アフリカを試みた。
それ以前にも、単細胞から魚や鳥、獣へと、人類が生まれる旅、サファリを続けてきた。

ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」を意識しながら、夜の始まるサヴァンナのジープの上で、一杯のコーヒーを飲み、38億年の命の旅を頭の中に巡らす。

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キリンを目の前で見る。
十数頭のエレファントと出くわす。
小さな象が、ジープの目の前まで、好奇心を持って近づいてきた。
ゼブラの集団も見た。
動物園の動物と違って健康的で力強い。
輝きを発している。

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バッファローは、黒い魂のかたまりのように見えた。
ヌーの一種とインパラとキリンがお互い襲うことなく、共存していた。
たくさんの種類の鳥たちが、自由に空を支配していた。
ノスリが小さな虫を見つけたのか、獲物を捕まえようと足に力が入っている。
長いサファリの同行者たちが、それぞれ自分らしく、アフリカの大地で生きているのを確認した。

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場所は、南アフリカの下側にあるプライベート動物保護区のシュルシュルウェ。
ロッジは、テントでできている。
虫や鳥の鳴き声がずっと聞こえていた。
イギリスから来た人のテントでは、象の足音を聞いたという。
ここには動物と人間の出来るだけの共存があった。

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2013年1月11日 (金)

カマタのおしり

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南アフリカのタンボ国際空港からジンバブエの空港に着いて、入国審査で2人の青年が笑い転げている。
なんで笑っているのか聞くと、シェナ族の使う言葉で、カマタは「おしり」という意味だと言う。
ジンバブエからボツワナへ入ったが、そのときも、「カマタ」と名乗るだけで、大笑い。

ベラルーシやロシアでは、皆から「カマタ」とは呼ばれずに、「カマト」と呼ばれて来た。
名前は結構、人と人の距離を縮めてくれる。

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サファリガイドのマブタさんは、ぼくの名前は「カマタ」というと、30秒ほどキョトンとした顔をした。
すでに「カマタ」の意味を知ったぼくが先に笑い出すと、我慢ができず、ふき出した。
失礼があってはいけないと思って、彼は我慢していたのだ。
ぼくの肩を抱き寄せて、なおも大笑い。
それ以来、ぼくは「おしりのカマタ」になった。

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サファリのジープで、象やカバを探してダートを走っていると、「カマタが痛い」と笑いながら言う。
もちろん「おしりが痛い」という意味だ。
マブタさんは、仲間にも笑いながら、ぼくの名前を紹介する。
アフリカの言語は部族に分かれているが、比較的、母音で終わっていることが多く、「カサネ」「トロ」「タンボ」など日本語に近い言葉が多い。
ホモ・サピエンスの発祥の地アフリカは、やっぱり日本と繋がっているような気がする。

象のおしりから出たうんこは、紙の原料になるなど、大事な資源だ。
フンコロガシにとっても、栄養源になっている。
糞を食べた後の穴に、卵も産む。
フンコロガシの子どもたちは象の糞のなかで育つのだ。

メスが糞の上に乗り、その糞をオスが甲斐甲斐しく転がしている夫婦を見つけた。
ほほえましい光景だった。

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そこのけ、そこのけ、糞転がしがとおる。字余り。

小林一茶なら見事な俳句をひねり出すことだろう。

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2013年1月10日 (木)

ホモ・サピエンスの食事

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パラントロプス(=上の写真)は、200万年前から100万年前くらいに生存していたが、粗食に適応したため絶滅した可能性が高い。
ホモ・サピエンスの祖先のホモ・エレクトスは同時期に、肉や脂肪、骨髄などを食べはじめた。
直立二足歩行だけではなく、ホモ・サピエンスが生まれるためには、食習慣が関係していた。
脳の重さは、体重の2%だが、25%のカロリーを使う。
脳が発達するためには、どうしても脂肪を取る必要があった。

アフリカに来て感じたのは、良質のタンパク質ならなんでも食べるということ。
どこにいっても、その土地の風習に合わせようとする鎌田は、ついにこれを食べた。

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ワニである。
これが、うまい!
鶏肉にあぶらをのせたくらいの味がした。
ホモ・サピエンスはこうやって、哺乳類だけではなく、爬虫類の肉も食べていたのだろう。。

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Photo_4 ワニビュッフェでワニを食べる鎌田

なおかつ、アフリカに来て、日本のみそスープがあることに驚いた。
肉だけではなく、発酵したみそスープや野菜をたくさん食べている。これが長寿につながる。

Photo_5 アフリカのみそスープ

Photo_6 やみつきになる肉汁

アフリカに来て、おいしいと思ったのは、とうもろこしの粉をお湯で溶いて、それに肉汁をかけて食べる。これが、なかなかやみつきになる。

いずれ、アフリカが貧困から脱出すれば、長寿になっていく可能性は充分にある。
日本人は江戸時代まで肉を食べる文化がなかった。その後、世界的に長寿になったのも、文明開化とともに肉を食べだしたことと関係があるのではないか。
やがて、アフリカのホモ・サピエンスが世界の健康長寿や文明のリーダーに復帰する可能性は高いと思った。
一日一食ダイエット法とか、草食男子ではやっぱり駄目だ。

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2013年1月 9日 (水)

ジンバブエから

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ジンバブエに着いた。
さっそく現地のスーパーへ。
ンデベレ族の女性たちが、トマトやその他の野菜を売っていた。
明るくて愛想がいい。働き者の女性のようだ。
おそらく自分で野菜を作り、市場に持ってきて売って、その間に子どもの面倒をみている。元気のいい女性たちだ。

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かつて豊かな時代、石像建築文化が栄えた。
現代の若者たちにも、彫刻家が多いと聞く。
下の写真は、石や木を削ってお店を出している若者たちとの記念撮影。

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そして、ヴィクトリアの滝へ。
イボイノシシが道路を横切ったり、ヒヒの親子が駐車場に出て来たり、川の淵にカバが出て来たり。
ここは動物たちの国でもある。

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1兆ジンバブエドルのお札があるが、一銭の役にも立たない。
自分の国のお金が通用しない貧しい国だが、不思議なほど、皆明るい。
皆が貧しいと、貧しさが苦にならないのかもしれない。
格差が問題なのだろう。

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この国も民主主義と自由と平等を獲得するために長い闘いがあった。
貧困から抜け出すのにはまだ時間が掛かりそうだが、日本にはない底抜けの明るさは、とても居心地がよい。

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2013年1月 8日 (火)

猿人の洞窟

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今回の旅のハイライトのひとつ、人類発祥の地―スタークフォンテン洞窟に行った。
「力のある泉」という意味のようだ。
260万年前のアウストラロピテクスの骨が見つかったところだ。
ミセス・プレスと呼ばれている女性の骨は、石灰岩の洞窟のため、260万年の間、溶けることはなかった。
さらに、リトルフットと呼ばれる350万年程の猿人アウストラロピテクスの骨も見つかっている。

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この洞窟から1.2キロメートル離れたクーパース洞窟では、パラントロプス(200万年から100万年前の猿人)の骨がいくつも見つかっている。
この大草原に何種類もの猿人たちが、時代を超えて存在していたのだ。

Gedc2440パラントロプスは、粗食に適応したため、脳の進化が止まったといわれている。
一方、アウストラロピテクスは、肉を食べたり、骨髄を食べたりすることによって、脳の発達を促した。
肉を食べるために、260万年前には石器を造り出し、100万年前には、火を使い、進化をはじめた。
この後、原人や旧人を経て、ホモ・サピエンスが生まる。20万年前のことである。

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南アフリカでは、約10万年前のホモ・サピエンスがボーダー洞窟や、クラーシス河口の洞窟で見つかっている。
この大草原は、ホモ・サピエンスが生まれるゆりかごだったのだ。

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2013年1月 7日 (月)

南アフリカに着きました

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ミュンヘンとパリで乗り換えをし、36時間かかって南アフリカに着いた。
出発の日、長野は-12℃。
南アフリカ、ヨハネスブルグは約23℃の季節は夏だ。
高度1500メートルの高原の街は、湿気はなく、さわやか。

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マンデラハウスとヘクター・ピーターソン博物館にすぐに行った。
ソウェトという黒人の町で1976年、約620人の若者が差別の元に殺された。
マンデラは抵抗運動をしたため、27年間、牢獄に入れられていた。

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この国に、民主主義と自由と平等がやってくるためには、長い時間の戦いが必要だったのだ。

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2012年12月12日 (水)

岩沼、二本松へ

青森の階上町から南下して宮城県の岩沼へ。
今回、南三陸、陸前高田、八戸、階上とすべて海岸沿いを訪ねてきた。
岩沼でも大きな被害がでて、市の40%は崩壊と浸水している。
180人の人名も失われた。
市の職員も4人亡くなった。
住民に避難を呼びかけて、命を落としたという。
まだ子どもが小さい方もあり、遺族はいたたまれない思いだろう。

なんとかみんなで悲嘆を支えようと、講演で話をした。
講演の後、サイン会をしていると、「来てよかった」「元気がでた」「これからは泣くことも平気かもしれない」と話しかけてくれた。

この後、講演をしに福島の二本松へ。
第五回福島百年未来塾で、「困難な時代をどう生きるか、命・食・放射能・絆を考える」と題して講演した。

無農薬研究所が主催である。
20年かけて土地を変えながら、無農薬農業に取り組んできた人たちが、放射能のために甚大な被害を被っている。
ヘリコプターの農薬散布などに抵抗してきた人たちだ。
食の安全をずっと考えてきた人たちだ。
それが、一瞬で放射能に汚染されてしまった。
ここにも悲しみがあふれていた。

原発の城下町から来た人もいた。
原発はいやだと思いながら、なかなかいやだと言えなかったという。
よくわかる。空気に負けてしまうのだ。

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1時間半の講演が終わると、今度は1時間、みんなで収穫祭をした。
つきたてのもちや料理がいっぱい並んだ。
農家の人たちが心をこめてつくってくれたものだ。
たくさんの人が集まり、若いお母さんがどうやって子どもを守るか、泣きながら質問してきたりした。
おばあちゃんは丹精こめてつくった野菜を食べてもらえず、生きがいをなくしかけている。
こうした状況を変えていくには、徹底的に放射能を測定し、その数字をオープンにすることが基本だと思う。
福島の米も野菜も、95%はほとんど放射能が検出されていない。
出たとしても、100ベクレル以下という規制値をはるかに下回る、5ベクレルとか、10ベクレルだ。
で、したほうがいい。
お米は全袋調査をしたことで、昨年に比べて買ってもらえるようになった。

無農薬野菜なども、放射能ゼロのものだけをしっかりとデータを明記して出したら、無農薬野菜を買っていた人たちも、安心でき、さらに福島の農家を応援したくなるとい気持ちになるのではないか。
測定結果をしっかり示すことは、消費者もどれを買うか、それぞれの価値観で選択できるようになる。

それにしても、こんなに農業を愛している人たちがいることを知り、うれしくなった。
この人たちの情熱をなんとか支えてあげたいとも思った。

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2012年12月11日 (火)

東北の縄文

八戸にある是川・中居遺跡はすごい。
ぼくは、季刊「コトバ」で「我々はどこから来たのか」という連載をしているが、ぼくたちのルーツを探る縄文の文化にふれるのはとてもうれしい。

3000年ほど前のものが多く、そのうるしの工芸には目をみはるものがある。
焼き物やかご、弓矢などにもうるしがぬられている。
しかも、芸術的だ。
黒いうるしが塗られた上に、赤が重ねられ、現代アートにも負けないくらい感性の鋭い作品がいっぱい残っている。

1211304___2 八戸の港

何から何までうるしがほどこされているのをみると、うるしを採取する仕事なにど、仕事が分業されていたのではないかと思う。
東北には、1万年前の旧石器時代の跡があるので、おそらく2万年前にカムチャツカ半島を下ってきた人たちが縄文文化をつくったのではないか、と学芸員から説明を受けた。

遮光土偶もすごい。サングラスのように見えるのは、デフォルメされた表現。
このデフォルメという手法が、感性の豊かを物語っているように思える。
3500年前の水差し口がある焼き物は、今の急須によく似ている。

Photo 縄文の祈りの声が聞こえてくるような、合掌土偶

国宝に指定されている合掌土偶はさらにすばらしい。
乳房と女性器がみられるので、おそらく女性。
仮面をかぶって、頭の後ろでとめている。
茅野市の縄文のヴィーナスより400年ほど新しいようであるが、茅野でも仮面土偶がでているので、同じように、お祭りとか、祈りの儀式に使われていたのではないか。
この合掌土偶は一段高いところに奉られるようにあったという。
狩猟の豊かさや自然の恵みを祈り、子どもが無事に生まれ育つことを祈っていたのかもしれない。

細工も芸術的。
縄文がこすられて、消されているところもある。
補修のあともあるという。
この時代にすでに土偶の補修をする技術があったことも驚きである。

合掌土偶をじっとみていると、縄文の声が聞こえてくるような気がする。
見ていて、あきない。

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