妻が組長になった
今年から妻のさとさんが、隣組の組長になり、ぼくは地域の常会の副常会長になった。
地域の役がまわってくるたびに、今までさとさんはぼくの代理をつとめてきた。
でも、今年は、さとさんに組長が、ぼくには副会長がまわってきたのである。
さとさんが兼務するわけにもいかず、ぼくはとても受けることはできないと考えた。
区から脱会することを決意して、脱会を申し込みにいった。
昨年の暮れのことだった。
しかし、脱会は認められなかった。
「地域で生きていく以上、どんなに世界をとびまわっていても、ちっちゃな地域の共同体の仕事をしてもらわないと困ります」
こんな言い方はされなかったが、まさにそんな感じで、跳ね飛ばされてしまった。
暮れから引継ぎもあり、常会の集まりや区の集まりに顔を出すようになった。
やっとわかった。
こうやって、地域の共同体が守られているのか、と。
1年を通して、新年会があったり、運動会があったり、野球大会があったり、バレーボール大会があったり、子どもを遊ばす会があったり、文化講演会があったり、地域の人と人をつなげるしくみが、縦横無尽にあることに気が付いた。
雪が降れば、朝6時に有線放送が入り、みんなで自分の家の前を雪かきをする。
役がまわってきた年には、自分の家の前だけでなく、公的なところまで出かけていって、みんなで雪かきをするのである。
世話役がいて、何人かの面倒見のいい人たちがいることで、共同体が守られていることもよくわかった。
全員が地域の共同体に対して、熱い思い入れがなくても、一部の人が熱い思いをもっているおかげで、共同体はなんとか維持できている。
こういう視点の上に、ぼくがやってきた健康づくり運動があるということも、やっと見えてきた。
ヨーロッパからはじまった隣人祭りというのが、日本にも入ってきた。
都市や、会社が林立するビルの回りで、隣人祭りがはやりだしているという。
日本の地方には、まだまだ隣人祭り以上の、人と人をつなげるネットワークがある。
これが日本の宝なのかもしれない。
こういう大切なものを、壊さないように守り続けていくことが大切なんだろう。